デジタルの時代 - デジタル・マーケティングは、何を変えたのか?
デジタル・マーケティングが旧来のマーケティングと違うことは、皆さんよくご承知だと思います。ここでは、いったい何が変わり、何が変わっていないのかについて考えます。ポイントは、「相互の影響力」「パーソナライゼーション」、そして「スピード」です。
デジタル・マーケティングって、何?
この本を手に取られた方は、マーケティングの重要性を充分に理解されていると思います。
本書では「エグゼキューション(execution:実行)以外の全てのプロセス」をマーケティングと定義し、「インターネットを通じて顧客/潜在顧客と関わるあらゆる手段」をデジタル・マーケティングと定義しています。
自社のWebサイトやSNSのアカウントを持っていれば、その時点でマーケティングが必要になります。現に、多くの企業がTwitterやLINEのアカウントを持って、運用しています。また、Webサイトを持たない小さなレストランでも、レビューサイトには掲載されているかもしれません。
つまり、これからの時代、ほとんどの企業にとって「デジタル・マーケティングは必須」ということです。
では、デジタル・マーケティングはかつてのマーケティングに比べて、あるいは現代はかつての時代に比べて、何が変わり、何を変えようとしているのでしょうか。その疑問について考えるために、いくつかの具体的な事例を見ていきましょう。
デジタル・マーケティングの特徴❶――相互の影響力
東京都北区にある「中村印刷所」という小さな印刷所をご存じでしょうか?この印刷所が日本で注目されるきっかけになったのが、Twitterでした。
2016年、中村社長は数千冊のノートの在庫に頭を抱えていました。のちにヒット商品となる「方眼ノート」です。
製本所を営んでいた男性とともに中村社長は特許を取得し、発売しましたが、当初は製作者2人の予想に反して、ノートは全く売れませんでした。
元製本所の男性もノートの売上が伸びないことに責任を感じつつも、打開策は考えられず、孫娘に「学校の友達にノートをあげてくれ」と手渡しました。
「私は使わないけれど、もしかしたら......」と考えた孫娘がTwitterで宣伝したところ、リツイートはあっという間に3万を超えました。それに従い、自社のWebサイトのアクセスも激増し、続々と追加発注も入りました。
その後、ノートは大手企業と提携し、今では量販店でも購入できるほどの人気商品です。
中村印刷所は、大きな金額をかけてCMを打ったわけではありません。交通広告など、大々的なプロモーションをしたわけでもありません。
しかし、「これは使える」という多くの人のポジティブな思いがTwitter上で話題を呼び起こし、その商品を必要としている人たちの手に届いたのです。
一方、中村印刷所のストーリーとはまるで反対の話もあります。
大手企業でPR担当をしていたごく普通の女性の話です。彼女はフライトの直前にTwitterを開き、自分の数少ない170人のフォロワーに向かって、アフリカ旅行へ行く前に、アフリカに関するちょっとしたブラックジョークをツイートしたのです。
彼女は飛行機に乗り込んだのですが、ネット上では恐ろしいほどたくさんの反応が沸き起こっていました。
いわゆる「炎上」です。
彼女はその夜、世界一の有名人になりました。それも、最悪の形で。彼女は即刻会社を解雇され、その後長く精神的なダメージに苦しむことになりました。
この2つのストーリーは、一見反対のことを示しているように見えます
「テクノロジーは素晴らしい、いや、ひどいものだ」
「私たちはとても悪い人間だ。いや、とてもいい人間だ」
このストーリーが示した意味は、いい意味であれ、悪い意味であれ、私たち1人ひとりが「炎上」などを通じて、企業や他者に影響を及ぼしたり、気に入った商品を広めたりする、ということです。
ドキュメンタリー監督のジョン・ロンソンは、TEDトークでこう述べています。
ソーシャルメディアの偉大な点は、声なき弱者に声を与えたことです。でも私たちは監視社会を作りあげつつあります。そこで生き残る最も賢い方法は、声をあげないことなんです。
ありとあらゆる企業活動は相互的になり、レビューされ、つぶやかれ、写真に取られ、シェアされるようになりました。
ソーシャルメディアの世界では、たとえば不用意な発言1つで企業が多大なリスクを被る一方、意図せずに発した言葉によって一個人が一瞬にして世界的な有名人になる可能性もあります。
20世紀は企業主導の社会でしたが、現代は顧客主導の社会と言ってもよいでしょう。
「F-factor」という言葉をご存知でしょうか?
F-Factorとは、フィリップ・コトラーが自著『コトラーのマーケティング4.0スマートフォン時代の究極法則』(朝日新聞出版)の中で提唱した概念です。
F-Factor
- Family(家族)
- Friend(友達)
- Follower(フォロワー)
- Fans(ファン)
F-factorは、上記の4つをまとめた造語です。ソーシャルメディア時代において、影響力を及ぼしうる様々な要素についてまとめられ、提唱されたものです。
顧客や消費者の声が口コミによってすぐに届くということは、企業側も改善ポイントをすぐに見つけられるようになったということでもあります。顧客や消費者が口コミによって大きな力を持つ一方で、企業が顧客の口コミから多大な影響を受けるようになってきたこと、これがデジタル・マーケティングにおける大きな特徴です。
デジタル・マーケティングの特徴❷――パーソナライゼーション
もう1つのデジタル・マーケティングによる大きな変化は、パーソナライゼーションです。
パーソナライゼーション/パーソナライズ
顧客の行動履歴、閲覧履歴などを元に、コンテンツを最適化する技術です。たとえば、Google検索は顧客の検索履歴を元にパーソナライズされ、Amazonのおすすめ商品は、顧客の購入履歴を元にパーソナライズされています。
屋外広告、テレビ・ラジオCM、新聞・雑誌広告などは、読者や視聴者の属性から出稿する媒体を選ぶ程度でした。しかし、デジタル・マーケティングにおいては、ターゲティングの精度を従来の広告では考えられないほど細かく設定することが可能です。
ターゲティング
特定の顧客を狙って広告やコンテンツなどを打つことです。デモグラフィック(ユーザーの属性)ターゲティングや地域ターゲティングなど、様々な種類があります。
年齢や性別だけではなく、住んでいる地区単位、学歴、趣味嗜好までを細かく設定して、最近訪れたWebサイト、最近検索されたワード、最近出したメール(たとえばGmail上の広告などは、メール内容に合わせて広告が変化します)などからもターゲットを絞り込むことが可能になっています。
それではなぜ、これほどターゲティングが細かくなったのでしょう?多くの無関係な広告がインターネット上に溢れていることも1つの要因です。
マーケティング担当者向けのWebサイト「MarketingDive」の調査によれば1-3、顧客の71%はパーソナライズされた広告を好んでいます。その最大の理由は「無関係な広告を減らすのに役立つ(46%)」というものでした。自身にとって無関係なメッセージに人は興味を持ちにくいものです。
テレビCMが最大公約数的なプロモーションを目指したのとは正反対の進化が、デジタルの世界では起きています。
全てのメッセージは、より個人的なものになり「あなただけに」という形を取って現れるようになっていくでしょう。
デジタル・マーケティングの特徴❸――スピード
最後にもう1つ、デジタル時代の大きな特徴を挙げましょう。スピードです。たとえば、新しいテレビCMを流すには、通常、企画や制作などで一定の期間が必要です(少なくとも、1日2日で終わることはないでしょう)。新聞広告も、数週間の準備が必要です。しかし、デジタルであれば、事情は全く違います。一瞬にして顧客のフィードバックが得られるからです。
1時間だけ広告を試してみて、上手くいかなかったら広告の文章を変える、あるいはブログの記事を変更するということも、もちろん可能です。
スピードには、負の側面もあります。「デジタル・マーケティングは万能か?」というと、そういうわけでもありません。マーケティング担当者は、広告サイクルの速さに過重労働を強いられるからです。
イギリスのデジタル・マーケティング担当者は平均で毎週8時間余分に働いており、約半数(46%)が過労を感じ、約3分の1(30%)が、充分な給料をもらっていないと感じています。
digitalmarketingmagazine.co.uk
多くの日本企業でも、マーケティング担当の人数が充分ではありません。そのしわ寄せは、担当者、あるいは広告代理店の担当者に行くことになります。
実際に、広告代理店の若い社員の方が、過労などを理由にして亡くなったという悲惨な事件も起こっています。デジタル・マーケティングには、新しい時間サイクルが存在することを認めた上で、それに対応できる人的リソースを確保することが、現代の企業には求められています。
デジタル・マーケティングの特徴❹――数値化
かつて、「百貨店王」と呼ばれた偉大なマーケターである、ジョン・ワナメーカーは、かつて「広告費の半分が金の無駄になっていることはわかる。わからないのはどちらの半分が無駄になっているのかだ」と言いました。この言葉はよく知られています。
有史以来、広告はこのような欠陥を抱えていました。テレビ広告にせよ、屋外広告にせよ、その成果を検証することは簡単ではありません。
しかし、デジタル広告では、より簡単に効果検証が可能です。もちろん、全てを効果検証できるわけではありませんが、旧来の広告に比べればはるかに効果を検証しやすくなりました。これは、デジタル・マーケティングが広告業界に起こした、大きなブレークスルーと言えます。
デジタルマーケターは、マスマーケティングの分野からは「数値を見ているだけで戦略がない」と揶揄されることもありますが、実際には、より多くの数値を確認しながら、戦略的な視野を持つことができます。
マーケティング3.0――よりよい世界を作るために
世界でもっとも有名なマーケターであるフィリップ・コトラーは、自著の『コトラーのマーケティング3.0ソーシャル・メディア時代の新法則(』朝日新聞出版、2010年)の中で、ソーシャルメディアの時代に際し「、マーケティング3.0」という概念を提唱しています。
コトラーの定義するマーケティングの進化
マーケティング1.0
製品中心
大量生産・大量消費
1950~60年代
マーケティング2.0
消費者中心
価値の多様化
1970~1990年代
マーケティング3.0
人間中心
ヴィジョン主導
2000年代~
マーケティング4.0
自己実現
共創の時代
2010年代~
コトラーは、前述の自著の中でこのように述べています。
現在、われわれはマーケティング3.0、すなわち価値主導の段階の登場を目の当たりにしている。マーケティング3.0では、マーケターは人びとを単に消費者とみなすのではなく、マインドとハートと精神を持つ全人的存在ととらえて彼らに働きかける。消費者はグローバル化した世界をよりよい場所にしたいという思いから、自分たちの不安に対するソリューション(解決策)を求めるようになっている。
混乱に満ちた世界において、自分たちの一番深いところにある欲求、社会的・経済的・環境的公正さに対する欲求に、ミッションやビジョンや価値で対応しようとしている企業を探している。
選択する製品やサービスに、機能的・感情的充足だけでなく精神の充足をも求めている。
デジタルの世界においては、相互の影響力が強く働きます。つまり、多様な人々の価値観に応じて、意図しない形で評価される可能性がある、ということを頭に入れておく必要があります。
私たちは一方通行にメッセージを押しつけるのではなく、相互が影響力を持った時代に生きているのです。大きなパラダイムシフトが起きたことを認めなくてはいけません。